先ず「本日は休診日」です。これは『過ち』ではありません。昨日は広島に原爆が投下された日でした。投下から80年も経過したのに未だに苦しんでいる方々が居ます。それと同じように福島の原発事故で苦しんでいる方々や故郷に帰れない方々が沢山居ますが完全廃炉は全く進んでいません。完全廃炉プロジェクトを完結する為には、まだまだ膨大な時間が必要です。と、言うか人類は永遠に?放射能を制御出来ないのだから核を持つべきでは無いのです。それなのに新たに原子力発電所開設を予定している。馬鹿なのか?子供が食事を途中で止めてデザートから菓子に移りゲームを始めたら親は注意すると思います。塗り絵をして途中でプラモデルを作り始めたのに手を休めてテレビを見始めたら当然「一つ終わってから次のことをしなさい」「次々手を出さないのよ」「決着•完結してから次に移りなさい」と。「安全で制御出来るから造りますよ」なら納得出来ますが全く将来が見えないのに「やりましょう」は如何でしょうか?日本は資源が無いから•次のエネルギーが無いから•とりあえず他の原子力発電所は問題無いから、と「おざなり」な対応で納得出来ますか?大都市のエネルギーの為なら地方の人命を危険に曝(さら)してもいいんですか?『過ちは繰り返しませぬから』は原爆の使用を含む戦争を全人類が未来永劫しないとの誓いとして刻んだ言葉ですが、私は原発も事故が発生すれば止めることが出来ないのならエネルギー問題が未解決ですが上記の文言の意味に含めるべきだと考えます。核問題も3000回を軽く超える投稿の中で何度も『綺麗事や理想だけでは国は守れない』と伝えてきましたが、この考えは現時点では誠に悔しく誠に不本意ながら『米軍の傘の下で守られている』ということを認めざるを得ないです。しかしこれは過ちかもしれません。日本が人類が出来ることは有るのですが限りなく不可能に近いです。それは核保有国と原発推進派等の考え方を変えることだからです。身近で考えても対立している親•兄弟•友人•職場の上司や仲間等の考え方を変えることでさえも容易ではないからです。そんな時には改めて故『中村哲』氏の偉大さが分かります。綺麗事を並べているのでは無く兎に角先ず行動、出来ることをする、無ければ造る。その背中を見たら常識人なら動きます。中村哲さんは謀(はかりごと)はしませんから人を動かそうとして行動はしていませんでした。が、結果的に人は動き緑が生い茂り作物が出来、多くの人命が助かりました。限りなく不可能に近いことを日本はやるべきです、繰り返し、不可能と思われても、唯一の被爆国として。