
『閾値』という言葉が有りますが一般の方が会話で「私って閾値が低いのよ」という表現はしませんので知らない方も多いかもしれません。しかし言葉自体は知らなくても実はよく使われてる考え方です。言い換えるなら「我慢強い」という言葉は『閾値が高い』ことを表し、逆に『閾値が低い』のは「敏感」ともすると「過敏」なことを指します。子供のころは少しのことでも痛がり親を困らせた方も多かったでしょうが成長するにつれて我慢強い=閾値が上がります。しかし「痛み」は他人には分かりません。骨折とか傷口が開くとか症状が有れば想像出来ますが頭痛や痺れを訴えられても程度が分かりません。恩師が名付け親に成った『気象病』は気圧や気温の変化で症状が変わるので軽く考えられがちです。しかし実は『毎日死のうと考えていました』という群発性頭痛の方に立て続けに会いました。どちらの方も外見的に弱々しくなく付き合いが長くはありませんが考え方や性格的に問題が有るような人ではありません。しかしその方々の口から上記の話を聞かされて「えっ、そんなに」という衝撃を受けました。頭を壁にぶつけて痛みを誤魔化す、誤魔化さないと時間が経過しない。発狂寸前の痛みのマックスになると痛みが消える、その繰り返しの人生だったと。幸い現在では「そこまでの」痛みは無いとのことでしたから一安心ですが外見的に変化が無い症状は注意深い対応力が必要です。また何十年も腰痛に悩まされていた方に「犬を飼いなさい」とアドバイスをしたところ怪訝な顔をされましたが後日「先生、苦しめられてた腰痛から解放されました!」と報告を受けた症例もありましたから痛みは永遠のテーマですが「痛みを数値化出来る」という話を聞きましたが真偽のほどは……。私のように痛みが無く一応健康だと「少しくらい我慢できないの?」と考えがちですが痛みは各々違いますから話をよく聴いてバックグラウンドも考慮に入れて対応しないといけないと考えさせられました。痛みが無いのは幸せなことなんですね。
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