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悲運零戦

2016.08.17 | Category: 院長ブログ

百田尚樹さんが出筆した『永遠の0(ゼロ)』が大好きで本を読み感動して映画を2回、ドラマも2回観ました。それでも毎回観る度に涙が出ます(歳をとると涙腺が弱くなるって本当ですね)。百田さん御自身に関しては賛否両論有りますが私はこの作品が大好きです。ジブリ作品でも題材にされる零戦。軍による要求は『性能面は言うに及ばず、とにかく速く』でした。結果として人命は軽視されました。また皮肉にも真珠湾攻撃で航空機の有用性を世界に知らしめたのは日本でした。米国は航空機主体の戦術に方針転換して航空機を増産して空母を建造しました。しかし日本は明治以来の巨艦主義の方向転換をする事が出来ず大和を造り敗戦に突き進んでいます。この感じは現在の日本にも続いています。結局日本は全く変わっていない。変革を悪とし現状維持を良しとする。変わらない事は美徳とさえされてます。政治家の皆様、国民は良くなる展開を希望します。さて此処からは私の想像の話です。零戦の色を御存知でしょうか?上と横から見ると緑で下側が灰色です。緑が多いところでの戦闘を想定して上から見れば森の緑に紛れ見付かり難いので逃げるにも攻撃にも有利。下からは雲に紛れてやはり分かり難い。戦闘機としては目立たない事が勝利の鍵。配色にも気を配った事が想像出来ます。この考え方は迷彩色を知っている人は分かると思います。しかし戦局が変化して戦場が海になっても全く同じ配色。ドイツ軍はヨーロッパ戦線と砂漠の車体は明らかに違っていました。しかし日本は戦局が変化して主戦場が海になっても配色に変化は無し。米国の艦載機グラマン(空母に積まれた戦闘機で不時着した零戦を修理して徹底的に調べあげ零戦の欠陥を炙り出し対零戦用に作られた戦闘機)の主戦場は海ですから当然青く塗られていました。配色も何も変わらない零戦は投入時は『向かうところ敵無し』でしたが敵の新しい戦闘機が投入、増産され終戦直前の零戦は未熟な操縦士との組合わせで楽に落とせる存在になっていたと聞きます。だから『悲運』、それでも私は零戦が大好きです。ずっと知覧飛行場に行きたいと思っていますが博物館に入っただけで号泣すると思いますので、もう少し後になったら一人でこっそり行こうと思います。最後に父の兄は特攻隊員でしたが事情が有り出撃命令を受けた日が8月15日で助かったと聞きます。その後の荒れようは暫くの間、酷かったらしいです。死ぬ(逝く)も残る(生きる)も地獄。『戦争は二度と起こしてはいけない』と亡くなるまで言っていたそうです。

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全快堂

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院長宮木 謙三