朝「サッ」と起きて快調•絶好調なんて小学生じゃないのに知らないうちにbetterでは無くbestを欲してしまう完璧主義の人々のなんと多いことか。昨日に引き続き痛みについて語らせて頂きます。少し痛みが有って当然、機械でさえもアイドリングの考え方が有るのに、そもそも寝ているとは日中よりは動いていないから血流が悪く身体が硬くなりがち。寝返り回数が少ない人は①寝具が合ってない②不健康•老化している人です。子供たちの寝返りは凄まじいですが身体が血流が悪くなると動いて血流改善する=寝返りするのですが不健康な人は血流の悪ささえ分からないから動かない。そこに水分不足が加われば血栓が形成されて明け方に亡くなることに。機械だって動き始めの異常音は、もしかしたら痛みを訴えて声かもしれませんよ。ヒトなら痛みが有り文句を言えないのに無理やり動かしていると故障して部品交換になりますがヒトは簡単に出来ないから困ったものです。これからの季節は朝一サッと動いても痛みの少ない気温ですが逆に窓を開放して寝たりエアコンの使用で体温が下がっていれば痛みを発します。そんな時はアイドリングして起きることで痛み予防だけで無く脳卒中発症予防にもなります。ちょっとの心掛け。
この話題は何度も繰り返しします。それほど大事で厄介な内容だからです。「痛み」や「熱」をヒトは当然嫌がります。これは自然なのですが声を大にして言いたいが「痛み」や「熱」は決して悪くありません。何故なら身体の異常を知らせてくれてる『シグナル』だからです。ヒトは勝手なもので痛みや熱が無ければ「自分は健康だ」と過信しがちです。そして少しの痛みや熱で騒ぎだす。「そんな筈は無い」と応える人が多いだろうけど痛みには「痛み止め」を、発熱には「解熱剤」を服用して症状が治まれば安心してしまう。しかし何故身体がシグナルを発したのか考えなければいけません。折角の機会を与えてくれたのだから忙しい日々の生活も大事ですが健康で無ければ生活も成り立ちませんから原因究明が必要です。痛みなら筋肉が足りないのか骨の問題か神経の問題か姿勢が悪いのか、それ以外の問題か?という具合ですが、一方「発熱」に関しては少し問題が複雑になります。それは傷口が化膿したりすれば発熱しますしウイルスに感染しても発熱します。そして発熱すると身体がダルく動けなくなるので現代人はいつしか「熱は悪者」というレッテルを貼ってしまいました。しかしウイルスも細菌も熱に弱いから繰り返しになりますが「身体が意識的に発熱させている」のです。脳はタンパク質で出来ていますから42℃以上は確かに危険なので「熱は下げないと」という考え方は理解出来ます。しかし41℃にもなっていないのに微熱でも風邪薬や解熱剤を服用する人もいます。それでは熱に弱ってから叩く筈の細菌やウイルスを叩く前に体温を低下させてしまいますから細菌やウイルスは復活してしまいます。するとヒトは再び体力を使って発熱を試みますから疲弊して体力を失って重症に陥る危険も有ります。齢者は体力が無い為にウイルスを叩ける高熱を目指して発熱するも届かず微熱を繰り返し衰弱していきます。一方子供は機能が未完成なので41℃迄で止めることが出来ない場合がありますので注意が必要です。子供と高齢者を除いた場合に発熱を止めることは体内に菌を残してしまうことになるかもしれません。またガン細胞は39.4℃で死滅すると言われていますけど定期的な発熱が毎日4千~6千発生すると言われている中で育って生命を脅かすかもしれない未完成形のガン細胞を未然に防ぐ役目を担っているのに、直ぐに風邪薬や解熱剤の服用は自然治癒力への冒涜に他ならないことを肝に銘じておかなければいけません。結果だけを無理やり正常数値に押し込むことは危険を先送りにして取り返しのつかない大病に発展する可能性が有ります。科学なんて自然の力の前では無力に近い存在です。しかし科学も医学も優れて点は沢山有ることも事実。共存共栄、身体の声も聞きましょう。
医療関係「者」では無くて敢えて医療関係「車」の話です。私は毎朝ランニング通勤をしているのですが所謂「抜け道」的な道路(狭い)を走っています。その道を前後駅方面から某大学病院方向に多くの医療関係者や学生が通勤•通学しています。逆に前後駅に向かっている方々も同じように沢山います。その中の一人なのですが酷い。とにかく酷い。何が酷いかと言えば2人で喋りながら歩いているのは当たり前。そして3人で並列で歩くグループもチラホラ。その2人組を3人並列組が抜かす時に常識的に考えれば多少気を使うと思いきや、なんと5人並列(道いっぱい)で歩く姿は『Gメン’75』を思い出しました。そして更に日傘を持っているから一人の私でさえも通り抜けるのが困難なくらいです。そんな輩(失礼しました)方々の列に自転車にバイクとタクシーが行き来する。そして透析患者を迎えに行く車にデイサービスの車も走る。その中の某大学病院に向かう車と透析患者を迎えに行く車、デイサービスの車の医療関係「車」が危ない運転&速い!透析患者の送迎車とデイサービスの車は看板が付いているから間違いないけど某大学病院のスタッフか学生らしき車は「絶対」とは言いきれません、ごめんなさい(でも日曜祝日の学生が歩いていない時には見ないことは付け足しておきます)。私も気付かない所で走って迷惑を掛けているかもしれないですけど皆様、白線も描けない狭い道路で中学生等も歩いています。互いに譲り合って安全に歩き•走り•運転しましょう。何事も安全第一です。
患者の皆様に糖分と油(脂)の恐ろしさを実感してもらっています。すると身体への悪い影響が「たったコレだけで!?」と驚かれます。そうなんです。たったコレだけでという少量で身体が壊れるほど糖分や油(脂)はヒトにとって『毒』なんです。しかし皆様は言い訳に「自分への御褒美」と訳の分からない理由を付けて毒を摂っています。沢山の労働により体力を消費したら本当に御褒美に糖分や油(脂)を摂ることは決して悪くありません。しかし然程動かずテレビを見たりゴロゴロしているだけなのに御褒美ばかり摂っている人は神様の鉄槌が振り落とされると考えて下さい。それはガンかもしれないし糖尿病かもしれないし脳卒中、認知症、寝たきりかも。ライオンは腹いっぱいなら目の前を獲物が歩いていても襲いません。ヒトは空腹が無くても食べる人がいますしテレビを視ながら菓子を食べる人もいます。「たったコレだけ」の積み重ねがアナタの身体を作っていることを考えて下さい。
有名な方が自ら命を絶とうしました。不幸にも御両親は亡くなられたと聞きました。ご冥福をお祈りさせて頂きます、合掌。最初に言いたいのは「どんな理由が有ろうと、どんな辛い状況でも自ら命を絶つことは絶対に許されない」ということ。有名人で在るがゆえの苦しみは一般人には想像出来ない、理解出来ないことは百も承知の上で。また周囲の誰もが同じことを言っているから今さら私ごときが偉そうに言う必要が無いことも承知の上で更に伝えたいし、お願いしたい。有名人で在ろうと無名な人なんて居ませんが敢えて対比として無名な人で在ろうと「影響力の大小」が有っても「命の大小」はありません。どんな人でも選ばれて生まれてきたエリートです。全快堂では不妊施術をしているから命の大切さを痛感します。出来ない方、流れてしまう方、上手く育たない方、色々な方がいます。そんな中で生まれてきたということは「生まれてきただけで奇跡的なこと」なんです。更にその前段階において数多くの精子が卵子を目指して泳ぐも辿り着けず道半ばで倒れて逝った、その屍の上を踏み越えて出会った精子と卵子。それはディズニーのファンタジーやハリウッドの大作や漫画の感動作なんてもんじゃない素晴らしいラブロマンスの上に出来た唯一無二の生命。どれほど素晴らしい物語の末に誕生したものか理解出来ると思います。おっさんが伝えても今一ピンと来ないのは重々承知してはいますけど想像力を働かせて下さい。それならば視点を変えます。生きたいと思っても亡くなってしまう方々が不幸にも居られます。病気や事故、今も行われている戦争で亡くなってしまう方々です。その方々は小さな子供から高齢者まで様々ですが命の重さが有るとしたら同じ筈です。生きたいと思う命が有るのに同じ命を自ら絶つことは許されません。さらに更に偉そうに言わせてもらえれば、立てる•歩ける•走れる等々「少し痺れる」「少し痛い」は命には別状無い状態でも本人にとっては深刻な病状、その僅かな訴えでも「何とか楽にしたい」「改善したい」と悩んでいる一方で自ら命を絶つなんて考えられない。倫理的に不可能ですが、死ぬなら健康な臓器を提供してあげて下さい。生きたいと思ってドナーを待っている方々に臓器提供をしてあげて下さい。私は死んだら全身の使える臓器全てを差し出そうと家族に伝え免許証の裏にも署名する意思表示はして有ります。献体もして解剖もして少しでも医学の発展に貢献出来ればと考えています。生きても大したことが出来ないなら、せめて死んでから人の為になることをしたいと願っての考えです。しかし今私は生きています。生かされています。それは精一杯生きて「生かされて」が「活かされて」にならなければ私の人生が無駄なものになってしまいます。その「活かされて」になる違いは『人に少しでも良い影響を与えれるか』に懸っていると考えます。私は立派な人間ではありませんけど患者様方が少しでも楽になって帰っていかれたのならば私は生きてきた意味が有った=活かされた瞬間なのです。いつもの如く話が反れて申し訳ございません。人それぞれの人生が有りますが、どんな人生で有るにせよ「その人生」を自ら絶ってはいけません。何故なら人は生きているのでは無くて「活かされている」からです。一人で生まれて来れない、成長出来ない、たった一人で生きていけない時点で「活かされている」証拠です。それを自分の命だと、自分「だけ」の命だと考えてるから自ら命を絶つなんて考えが湧いて来るんです。人から与えられた命なんだから精一杯生きて出来れば死んでからも使って頂くくらいのことを考えたら自分の身体を大事に使う=少しでも健康を維持して使える臓器を一つでも多く残してお返しするのが本来の生き方と私は考えます。身体はボディで車と同じ。車を廃車寸前にするか何十年前のでも立派に走っている車で返すのか。そう言えば洗車して無いなぁ。
私は「それ食べると体調崩すよ」と『たぶん』分かりますが、皆様は『たぶん』分からないと思います。しかし皆様が『たぶん』分かるようになったら便利だと思いませんか?先程から目障りなくらい『たぶん』と記述しているのは各個人で能力に差(個人差)があるのと、体調の日内変動があるので「分かる」時と「分からない」時があるので、敢えて『たぶん』と記述させて頂きました。自分が食べて良い物か悪い食べ物か?この量は適量か何も使わず分かる方法を皆様に教えますので知りたい人は施術時に聞いて下さい。勿論「絶対正しい方法」ではありません。しかしあくまで「目安」にはなりますので是非覚えて損はありませんから挑戦してみて下さい。
先週は98%の予約率でしたが今週は80%は超えてるものの多少の余裕が有りますって金曜じゃねぇかよっ!さて今週の患者様の訴えの特徴は大きな気温差と暑さでの寝不足、そして気圧の変化も大きく高齢者だけで無く若い人たちでも不調を訴える人が多かったです。どうしても不調から脱却出来ない人は日曜が満員なので今日•明日の空いている時間でお願い致します。但し本日は午後からしかやらないので電話しても居ませんから、ごめんなさい。
くだらない話ですけど「また」ここの投稿内容が新聞に載ってました。勿論同じ内容ではありませんけど。13日の投稿で名駅の『きしめん』について投稿しましたが16日の中日新聞紙面に名駅の『きしめん』について掲載されていました。きしめんですよ、それも名駅のホームの「きしめん」ですよ。ここの投稿内容がメディアに偶然流れることは多々あります。当然偶然でも偶然にしても「きしめん」って。勿論きしめんを軽く見ているのではありません。私は「きしめん」が大•大•大好きだから投稿したのです。でも偶然同じ時に紙面に載りますか?「知ってたんじゃないの?」という疑いの質問までされるくらいの偶然。こんなことなら良いけど、事件に巻き込まれて取り調べで「偶然です」って言っても信用されないケースが沢山存在して昔は誤認逮捕も多かったと思います。誤解されないように発言•行動しなければいけないんですけど私は元来誤解され易いんですよ。でも釈明しません、私のことを分かってくれてる人だけで良いんです。私のことを信じてくれたら今度は私がアナタの為に精一杯施術して何倍も恩返ししているつもりです(何か有ったの?何も無いですけど)。話が反れましたが「きしめん最高!」っす。でも食べ過ぎ、偏食は駄目です。たまに食べるから美味しいんですよ。「最高です!」(by巨人軍•岡本)。
『はしか(麻疹)』の患者が現時点で3名確認されました。その3名の感染経路を調べると同じ新幹線の車両に乗っていた(同じ空間に居た)というだけ。そうなんです「はしかごとき」感染症でも調べてみると大変に恐ろしい疾患なんです。当たり前のことが全快堂に掲示して有ります『ウイルスは永久に無くならない』と。コロナウイルスが5類になって世間ではウイルス自体が弱くなったかのように勘違いしている人々が多くいます。いたずらにウイルスを怖がれと言っているのではありません。正しい生活をしましょうと言っているんです。マスクや手洗い「ごとき」で感染を予防出来る相手ではありませんけど当然やらないよりやった方が良いに決まっています。「はしかごとき感染したって」という人に言いたい。はしかごときでも亡くなる方がいます。体力の有る方は良いでしょうけど亡くならなくても感染して苦しんでいる幼子を見たら、万が一後遺症が残ったりしたら後悔しても遅いんですよ。それならば出来る限り予防しましょうとなります。何かコロナだけがウイルスでコロナが下火になって人類がウイルスに打ち勝ったかのように考えている人々がいます。全快堂は存在する限り予防に煩く生活習慣に煩く言い続けます。だからまた一人『出入り禁止』にしました。影響力の大きな人でしたが躊躇すること無く出入り禁止にしました。患者数が減っても儲けが減っても私は患者様を守る為なら大を切っても小を生かす判断を躊躇無く下します。最後に免疫力は『腸』が大切と耳タコでしょうけど『笑い』も大切です。以前投稿しましたけど先日の新幹線でも私は「はしか」の予防法を実践しました。それは真ん中の席に座ることです。「はしか」に感染した人は何処の席に座っていたか?やっぱり「端か(はしか)」お後が宜しいようで。
先日NHK大河ドラマ『どうする家康?』で阿月の走り方が「なんば走りだった」と投稿しました。ランニング初心者に「つま先重心の走り方(フォアフット)」は難しいことは分かりますけど間違った走り方を教えて腰痛患者を増やすのは如何なものか。足低が着地する時の理想接地面は速度によって変えなければいけません。ウォーキング時は踵からで速度が上がるに連れて「足低中心(ミッドフット)」更に上がれば「足先(フォアフット)」が理想というより、そうしなければ腰痛患者を増やす結果になる=間違った指導法になることを理解しているのか、いないのか以前から甚だ疑問でいました。そんな時にネットをランダムに読んでいると「縄跳びの接地を踵でしますか?」という質問が目に飛び込んで来ました。確かに小さな子供たちでも縄跳びをする時には自然に「つま先」で着地しています。それなのにマラソンのように長距離を走る時に踵からの着地指導法には無理が有ります。確かに初心者の筋力不足の方たちにフォアフット走法は難しいし各部位の故障に繋がります。それならば「せめて」走行時の重心を少しでも前に意識させ「ミッドフット走法」から指導する方法へ統一するべきですが、未だに超有名なランニングコーチがメディアや講演会で踵着地指導を平気で行っているのは疑問です。しかしランニングでは無くてウォーキング時なら拳1つ広めを意識して踵からの着地で結構です。私を含めて「絶対に正しい」のではありませんからメディアが『垂れ流し』している情報を鵜呑みにするのは危険です。